まんなかで・・・

サラサラと流れる川のごとく中庸で生きていけたらいいですね

私が「スピリチュアル」から得たもの

久しぶりに、スピリチュアルについて書いてみようかと思います。

そもそもスピリチュアルって何ですか?ってことですが

誰もがよく使う言葉でありながら、実はその定義は曖昧なままです。

Wikipediaによると「霊的」、またほかでは「見えない世界」のことなど

人によって解釈も捉え方もさまざまでしょう。

 

今日書くのは、私なりにスピリチュアルについて思っていることなので

押し付ける気持ちなど毛頭ないことを先に言っておきますね。

本当はスピリチュアルという言葉ではなく

何かそれに準ずる表現がないかなあ、とも思うのですが

今は思いつかないので、そのまま使うことにします。

 

スピリチュアルという言葉に抵抗を覚える方も

いらっしゃるかもしれませんが、それも又一つの感じ方です。

 

私はスピ(略して書きます)のことを生きていく上での

コンパスのようなものとして捉えています。

自分の中で迷いがあるときの案内板とでも言うのでしょうか。

 

生きる支えになるものは人によって違いますが

例えば、それが宗教だったり、家族だったり、言葉や本だったり

信頼している誰かだったり、いろいろでしょうけど

それが依存にならないようにしたいですね。

 

それはスピにおいても同様で

信じることは大切なことなのに、度を過ぎると

肝心なことが見えなくなって本末転倒になってしまいます。

 

過去記事で何度か書いたかもしれませんが

ときには俯瞰的な見方をする必要があると思うのですが

実は、これが一番難しいことかもしれません。

なかなか自分のことを客観的には見れないですから・・・

 

生きることの意味など考えても仕方ないことかもしれませんが

きっと誰もが一度は考えたことがあるはずです。

どうしてこの世に生まれて来たのか?ということを。

 

それに対する答えは、幾つかの説があるようですが

どれを信じるのも自由、信じないのも自由

一人一人が自分なりの答えを見つけてかまわないと思います。

そんなことに意味なんてないよ、と思うのもアリかもしれません。

 

私にとってのスピとは、生きている中で経験する喜怒哀楽や

さまざま出来事で起こる感情を通して精神性の向上を図ること

になるのでしょうか。

生きることそのものがスピリチュアルともいえる気がします。

 

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さて、近年は「どうしたら幸せになれるか」

「どうしたら運が良くなるのか」などの多くの方法論が

スピの一部になってしまった感があります。

それはまるで自分の欲望を叶えるためのもので

どう生きるか、とは少し方向性が違うように思えてなりません。

 

かくいう私もそういう時期があったことは否めませんが

いろいろな本や話で学んだことを実践してみた結果

目に見えて運が良くなることなどないのではないか

そういう結論に達することになりました。

 

ただこれは、あくまでも私の場合に限定されるので

何も意味がないということを言いたいのではありません。

 

行動を起こしたことがきっかけで、実際に人生が変わったという方も

いらっしゃるでしょうから。

私の場合も「目に見えて」はなかったというだけで

見えない世界での変化はあったのかもしれません。

何も起こらないように見えることが、実はとても運がいいことだとも

捉えることも出来るからです。

 

私たちは「運」というものを、幸不幸で分けて考えることが多いです。

宝くじに当たった人は運がいいね、交通事故に遭ったら運が悪かったね

そんな感じでしょうか。

でもその先の流れがどうなるのかは誰にも分かりません。

運が良いとか悪いとかの判断は

ただの通過点での一時的なことでしかない、とも言えるでしょう。

 

宝くじに当たったあとに、急激に人生の坂を転げ落ちたという話が

本当なのか分かりませんが、当たらないほうがいいのかも

と思わせてくれるような話も耳にしますしね。

 

誰の人生にも波乱万丈なことが起きるのかもしれませんが

すべてを含めて

『なるようになる』『すべてはうまくいっている』

そう本気で思えるようになったこと

それだけでも、スピリチュアルから得たものは大きいのです。

 

 

 

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