まんなかで・・・

サラサラと流れる川のごとく中庸で生きていけたらいいですね

人は言葉によって創られている

『始めに言葉ありき』

皆さまご存知の通り、新約聖書の「ヨハネによる福音書」の

冒頭の記述を日本語に訳した表現となっています。

その解釈は幾つかの説があるようなので

受け取り方は違っていいと思いますが

いかに『言葉』が大切か、ということだけは言えると思います。

 

ブログや他のSNSでの発信も言葉がメインですし

もちろん言葉以外の画像、音楽、動画ほか表現の方法はあるにしても

言葉抜きでは成り立ちません。

発信だけでなく逆に受信する場合も、目にしたり耳にしたりする言葉に

私たちは多大な影響を受けています。

 

特に今は情報過多の時代、膨大な言葉に

振り回されている感がありますが

その真実を問う前に、盲信してしまうという弊害が

起きているような気もします。

 

私たちはそれぞれが、何を求めているのか、何を信じているのか

何にアンテナを張っているのかの違いで

同じような言葉を耳にしても、解釈の仕方が違ってしまうことも当然あります。

 

例えば、私が心から感動し素晴らしいと思った言葉も

人によっては何も感じない、そんなこともあるでしょうし

その逆も又あり得る話です。

 

私はこう思ったよ、こう思うよ、ということを言いたくて

ブログを書いていますが

言いたいことは人によって違うので

いろいろな視点でのブログが存在し、交流を深めていけるのでしょう。

 

何が正しくて、何が正しくない、そんな判断はしたくありません。

ただ言葉による影響力は強いものがあるので

気をつけて使わなければ、と思うだけです。

以前にも似たようなことを書きました。

 

mannakade.jp

 

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思考に気をつけなさい、

それはいつか言葉になるから。

 

言葉に気をつけなさい、

それはいつか行動になるから。

 

行動に気をつけなさい、

それはいつか習慣になるから。

 

習慣に気をつけなさい、

それはいつか性格になるから。

 

性格に気をつけなさい、

それはいつか運命になるから。

 

マザーテレサの有名な格言です。

 

思考や言葉に気をつけなければならないことは

誰もがわかっていることですが

そう簡単には変えることは出来ません。

 

どんなときも、頭の中ではいろんな思考が飛び交っています。

その思考を自分でコントロールするのは至難の業ですが

私は最近、自分の思考が何処に向かっているか

なるべく気付こうとするときがあります。

(もちろん、常にというわけにはいきませんが)

 

その思考の先にあるのは何?と追ってみると

ちっとも心地良くない、ということが分かり

そうすると、思考のベクトルを方向転換せざるを得なくなるのです。

 

私が求めている「心地良さ」ですが

「心地悪い」という思いをしてからの遠回りのようですが

舵を切り直すことも必要な過程なのかな、と思います。

 

当然のことながら、この世のすべてのことは中立なので

(以前の記事でも書きましたが)

ポジティブに向かうのもネガティブに向かうのも

あくまでも人の自由意志、ということは

コントロールする必要はないのかもしれませんが

あくまでも私の場合は、という意味です。

 

『認めたものが現れて、見つめたものが拡大する』

これは宇宙のルールだと聞いたことがあります。

それが真実であるのならば、見つめるものを変更することで

自分の世界を変えられる可能性があるわけです。

だからこそ、多くの人がなるべくポジの方を見ようとしているのでしょう。

 

言葉が世の中や人をどれだけ変えてきたか

それが語られることは少ないように思います。

一瞬で理解出来るのは、言葉よりも映像であったりするからでしょうか。

 

どんな言葉を使っているかで、その人のことがわかることもあります。

“字は体を表す” とは言われてきましたが

今は字を書くという機会がかなり減りました。

 

ということで“言葉は体を表す”

言葉が人を創っている、そう言えるのではないでしょうか。

 

 

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