まんなかで・・・

サラサラと流れる川のごとく中庸で生きていけたらいいですね

私たちの身体は「口にしたもの」で成り立っている

『身土不二』という言葉があります。

読み方は

仏教用語では(しんどふに)

食養用語では(しんどふじ)になります。

私がこの言葉を知ったのは20年以上前で

佐賀の唐津出身の農民作家と呼ばれる『山下惣一』氏が

ある新聞のコラム欄で書かれていたからです。

 

さて、この『身土不二』

身と土、つまり人間の身体と人間が暮らす土地は一体で

切っても切れない関係にあるという意味の言葉で

言葉の起源は大昔の仏典に遡ることが出来ますが

現在では食の思想として「その土地のものを食べ、生活するのがよい」

という意味で使われています。

※仏教での『身土不二』は

【身】今までの行為の結果=正報と

【土】身がよりどころにしている環境=依報

  は切り離せない、という意味らしいです。(ちょっと難しい!)

 

「地産地消」という言葉とも似ていますが

詳しく調べると意味もルーツも違うのに

地元で採れたものを地元で消費するという意味では

同じように使われているようです。

 

今でこそ家庭菜園を楽しむ人が増えましたが

昔は各家に畑があって、そこそこの野菜は作っていたのが普通でした。

スーパーの普及と共に、それは減ってしまって

野菜の旬も知らない人が増えてしまったのは

仕方のないことなのかもしれません。

 

私の実家は兼業農家でしたので、まさに「身土不二」の生活をしていました。

米はもちろんのこと、畑では基本的な野菜は殆ど作っていましたし

夏になると毎日スイカは食べ放題、柿の木、イチジクの木もあり

ミカンは親類が作っていたので「買う」必要もありませんでした。

夕食がカレーのときは、納屋に置いているジャガイモ、玉ねぎ

そして畑に人参をとりに行きます。

(これかなあ、と見定めて思い切り引き抜く)

 

自然に野菜と触れていたので、小さな苗の状態でも

何の野菜かは今でも判別出来るのは、ささやかな自慢でもあります。

 

実家から離れて生活するようになって、一番驚いたのは

米や野菜は買わなければ口に出来ない、という当たりまえのこと。

本当に有り難い暮らしをしていたことに

それまで気づけなかったのは、情けない話ですね。

 

 

今では、世界中の食べ物が簡単に手に入る世の中です。

その土地のものを食べ生活するのが良いのは

わかっていても、そう簡単にはいきません。

 

人の身体は、生まれ育った土地で育った食べ物が一番合うように

なっているので

例えば熱帯で穫れる食べ物を多く摂取すると

身体を冷やしてしまうので、人によっては良くないことも聞いたことがあります。

 

食に関していえば、添加物の問題、遺伝子組み換え、偽装表示など

さまざまな問題があるので、難しい話ですが

それらを気にかけて生活している人は極わずかでしょう。

 

ただ、神経質になる必要はないでしょうけど

私たちの肉体が、口から入る食べ物で出来ているのは

言わずと知れたこと。

肉体あっての人生なので、もっともっと大切にこの肉体を

扱う必要があると思います。

 

 

 

食べ物によって私たちの肉体は出来上がっていますが

その食べ物が「思考」「精神性」にまで影響を与えていることは

よく知られています。

(ストレス、イライラ、ほか心のバランスを保つのにも)

 

心と体は互いに密接に繋がっているので

環境だったり、思考だったり、運動だったり

ありとあらゆることが関係しているでしょうから

食べ物だけに気をつけたらいいというわけでもありませんが。

 

最後に、随分前になりますが

添加物に関する講演会に行って面白い話を聞きました。

もちろん、添加物を摂取しないのが理想とはいえ

普通の食生活では、そう簡単にはいきません。

 

そこで、添加物を口に入れても大丈夫な方法が一つあるそうで

それは『よく噛む』という行為、唾液には素晴らしい力があって

ある程度の添加物を分解(?)してくれるらしいです。

これは私も実践してみたものの、長続きしないのが難点。

また再チャレンジしてみようか、と思うこの頃です。

 

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