まんなかで・・・

サラサラと流れる川のごとく中庸で生きていけたらいいですね

「いつ死んでもいい そんな生き方がしたいね」友がプレゼントしてくれた言葉

それはちょうど私が17歳の誕生日を迎えた早朝のことでした。

当時の親友が息せき切ってプレゼントを持ってきてくれました。

ひょっとしたら徹夜したのかな、そんな感じで。

それは緑色のフェルトにエンゼルフィッシュの刺繍がしてある

魚座生まれの私にピッタリの「状差し」でした。

 

スマホどころか連絡手段は黒電話しかない時代

手紙のやり取りが楽しみだった私にとって

「状差し」は必需品でした。

(状差しなんて言葉、もう死語でしょうか)

 

そして添えられたカードには

「おめでとう!」の文字の横に

『いつ死んでもいい、そんな生き方がしたいね』

の言葉が書いてあったのです。

 

その言葉が強烈に私の心を動かしたのを

今でもはっきり覚えています。

あれから何か事があるたびに

その言葉が私に呼びかけてきます。

「いつ死んでもいい、そんな生き方が出来ているのか?」と。

 

振り返ってみれば

ただ毎日を生きるだけで精一杯だった私の人生。

若い頃は何かをやりたい、そう考えるだけで

行動は起こさないままで終わってしまい

その後、手当り次第好きなことをやってみたものの

逆に何がやりたいのか、だんだんと分からなくなって

今日に至ってしまったのが実情。

 

そういえば17歳の頃

私が死に対してどう向き合っていたか

一つだけ鮮明な記憶があります。

 

中学・高校と吹奏楽部で音楽がとても身近だったこと

三度の食事と同じくらいに本を読むのが好きだったこと

それで、気になったことはただひとつ。

死後の世界に私の好きな音楽や本はあるのか

ということでした。

 

それさえあれば死ぬのもそう悪くないのかもしれない

あまりに若すぎて、死が遠い遠い世界の出来事で

漠然としていたからこそ

そんな妄想にも浸れたのでしょう。

 

「いつ死んでもいい」と思えるような生き方って

どんな生き方なのでしょうか。

思った通りに生きること、後悔しないで生きることなど

答えは一人一人違うのでしょうけど

私にとっては、自分自身が今の生き方に納得出来ているかどうか

のような気がします。

 

さて、大切な言葉をプレゼントしてくれた親友ですが

高校卒業後二十代まではある程度頻繁に行き来していたのに

その後は少しずつ疎遠になってしまいました。

 

中学生・高校生の6年間、どれだけ膨大な量のおしゃべりを

したことでしょうか。

お互いの自宅(実家)も近所だったので

ずっとずっとしゃべっていました。

 

嬉しいこと、苦しいことなど

洗いざらい話せる友の存在が

どれだけ私の支えになってくれたことでしょう。

 

それなのに、今では年賀状のやり取りと

数年に一度ぐらいの電話でしか

彼女との繋がりはありませんでした。

 

ところが、つい数日前のことスマホからの着信音!

何と、その彼女からメッセージでLINEの招待が届いたのです。

何としても連絡を取りたかったとのこと。

 

LINEのやり取りで再び距離が縮まって

もっと早くこうすべきだったと

一瞬は頭をよぎったのですが

すべては必要なときに必要なタイミングで起こる

そのことに感謝したほうがいいことに気付きました。

 

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ウォーキング途中川岸で咲く花

 

 

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