まんなかで・・・

サラサラと流れる川のごとく中庸で生きていけたらいいですね

「おかげさま」に感謝する

私は霊能者ではないので

基本的には何かが見えたり、聞こえたりすることはありません。

なぜ基本的には、かというと

以前一度だけ自分の身体から白い発光体のようなものが

立ち昇っているのを見たことがあるからです。

それはぼんやりとではなく、はっきりとしていたので

目がおかしくなったのかと思いましたが。

 

それはさておき、何となく感じることって

私だけでなく、誰もが持っている感覚だと思います。

何か決断をするとき、迷いがあるとき

わからないけど、何となくこうした方がいいんじゃないか

理由はないけど、自分ではこちらの方がピンと来る、とか。

 

それこそが目には見えない

「おかげさま」によるものではないかと思うのです。

私たちがよく挨拶などで使う「おかげさまで・・・」ですが

本来の「おかげさま」は

「神仏など目には見えない存在の働き」「おかげ」

「さま」を付けた仏教的な用語らしく

いつのまにか人に対しての挨拶で

相手に感謝の気持ちを伝える意味に変化したようです。

 

目には見えない存在のことを

人によっては

「神」「守護霊」「守護神」「天」「宇宙」「天使」など

さまざまな呼称を付けて感謝してきたのですね。

 

私は子どもの頃から、何となく自分が守護されているのを

漠然と感じていました。

その存在が何なのかは別として

そして何故そう感じていたのかもわかりませんが

必ず困ったときは助けてもらえる、という

確信みたいなものがあったのです。

(もちろん気のせいかもしれません)

 

現実の出来事で

実感できることが起きたわけではないんですが

でも、ひょっとしたら大難が中難に中難が小難に

さらに小難が無難になったことに

気付かなかっただけの話かもしれません。

 

悩みや問題を乗り越えるとき

助けてもらったからこそ、スムーズにいったのかもしれないのに

単に自分の力だと疑うこともなかったのです。

まあ相手は目に見えないのだから仕方ありません。

 

ただ、今まで生きて来られたのは

多分に「おかげさま」の存在があったからだと思います。

2日前の記事で手相の話をしましたが

何度か見てもらった手相でも

「あなたはご先祖さまから強く守られていますね」と

毎回言われました。

 

私が生まれ育った実家では

朝は必ず洗顔後に仏壇に手を合わせる、というのが当然で

それが済まないと朝食にはなりませんでした。

何かお土産をいただいたら、まず仏壇にお供えし

学期末に持って帰る通知表も、なぜか仏壇へ。

 

子どもの頃は仏さまと神さまは同じような存在だったので

どんなときにも仏壇に手を合わせるのが日課だったこと

それが特別なことではなく

当たり前だと思って育ったことは

有り難いことです。

 

あらためて

今の私の存在は、限りない数のご先祖さまの縁を経て

繋がっているということで

目には見えない「おかげさま」に感謝の毎日です。

 

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