まんなかで・・・

サラサラと流れる川のごとく中庸で生きていけたらいいですね

探すときには見つからない

ウォーキングが日課の私です。

ちょうど近くに

那珂川という博多湾に注ぎこむ二級河川が流れており

川の両側は遊歩道としても整備され

河畔公園があったりもします。

 

f:id:mannaka2:20201015101424j:plain



すぐそばには国道もあって、車の往来も多いのですが

ほんの一歩入っただけでゆっくり歩ける道があるのは

本当に有り難いことです。

さすがに真夏の時期は、陽がかなり傾いてからでないと

歩く気にはなりませんでしたが

これからは時間を選ばずに歩くことが出来ます。

 

この遊歩道、場所によってはほんの少しの草が茂っているものの

土の上を歩けるような場所もあり

舗装されたところを歩くのに比べたら

地面を踏みしめる感触も味わえて

得した気分で嬉しくなります。

 

f:id:mannaka2:20201015101456j:plain

 

その所々にクローバーが生えていたりするのですが

何気に見つかる「四葉のクローバー」

四葉のクローバーはラッキーアイテムとして知られているので

やはり嬉しくはなります。

 

実は私、四葉のクローバーをよく見つけるのですが

クローバーの群れがあるからといって

そこを探せば、見つかるというわけではないのです。

ふと足元が気なって下を見たらそこにある、

見つかるときはいつもそんな感じです。

 

f:id:mannaka2:20201014123355j:plain

(さりげなく恥ずかしげに生えている四葉のクローバー)

 

井上陽水の歌の詞ではありませんが

『探すのをやめたとき 見つかることはよくある話で・・・』

ってことなのでしょう。

私たちは常に人生においても「探しもの」をしている気がします。

生きがい、天命、パートナー、生きる意味

大切だと思える何か、などなど。

 

探して探して見つかることもあるのでしょうけど

探すことに疲れてしまうこともあります。

探すのをやめたとき、というのは

そういう思いを手放したとき、という意味なんでしょうか。

忘れた頃に見つかる、そんな経験をしたことが

誰にもありますよね。

 

探しものが見つからないままで人生が終わっても

それはそれ、そういう人生だったのだと

割り切るようにしたいと思います。

意味があるのか、意味がないのか

人生なんて捉え方次第ですからね。

 

黙々と歩きながら、もちろん雑念だらけですが

この日課のウォーキングを「歩く瞑想」と名付けて

楽しんでいます。

 

 

にほんブログ村 ライフスタイルブログへ

にほんブログ村 哲学・思想ブログへ