前世について私の体験を書いてみます。
私は前世ってあったら面白いなあ、というくらいの
スタンスなので、そんな前世なんてないよ
と思ってらっしゃる方は、それでいいと思います。
初めて前世を意識したのは中学生の頃です。
その時代に前世という言葉が使われていたかどうか
定かではないのですが。
もともと国語の教科は好きでしたが
初めて古典の授業を受けて、その言葉遣いの美しさに
魅了されました。
「こそ~けり」「~たりける」「いとをかし」
なんて美しい日本語なんだろう、と。
万葉集、枕草子、古今和歌集、源氏物語、土佐日記、古事記
他にもたくさんの古典があります。
言葉の言い回しが現代人からすれば少々面相臭いようにも
感じられますが、そこが私にとっては魅力でもありました。
その日は枕草子の授業でした。
あの日の教室の風景が今もモノクロの写真を見るかのように
浮かんできます。
枕草子は「春はあけぼの・・・」で有名ですが
別の段で「五月ばかりなどに」という歌があります。
ここでは本文は略しますが
五月の頃に山里を牛車で移動するときの歌で
草葉も水も青く一面に見えている中
きれいな水がはね上がるのは趣がある
というような内容です。
で、この歌を目にした瞬間
私はこの時代にタイムスリップしたような感覚になりました。
教室の風景はそのままで、重なって牛車が水草を跳ねる
映像が浮かんだのです。
さらに跳ねた水が左の頬にピッと飛んできた感覚もありました。
あっ!冷たい、水の感覚があまりにリアルで
思わず自分の左の頬を触りました。
あれっ?濡れてない?
どこか懐かしいような古い思い出のような・・・
この瞬間、私はこの歌の時代に生きていたんだ!
という確固たる思いが生まれたのです。
そんな思いを当時は胸に秘めたままで
誰にも話すことはありませんでした。
それから長い時間が経ち、大人になり
スピリチュアルな話が出来る友人たちと
あるイベントで集まったときに
その思い出を話したことがあります。
そのとき、近くにいらっしゃったヒーリングや
チャネリング能力のある方が私に向かって
「当然じゃあないですか、その時代にあなたは公家だったんですよ」
と言われたのです。
驚きと同時に、自分が感じていたことが確信に変わり
ホッとしたことを覚えています。
本当に公家だったかどうかはどうでもいいのです。
あの頬に当たった水の感覚は、今でも思い出され
私を幸せな気持ちにさせて
生きることの意味を考えるきっかけをくれるのです。